フィールドワークの技師であり、偉大なフューチャリスト。梅棹忠夫先

偉大な学者がまた逝ってしまった。KJ法の川喜多二郎さんの次は梅棹忠夫先生だった。


僕が梅棹先生の本をよむきっかけをくれたのは松岡正剛さんだ。たしか松岡さんの『知の編集工学』(朝日文庫)の冒頭に梅棹先生の「編集」概念が語られている。そこではおそらく「編集者は情報産業のエンジニアである」というフレーズがあった。書籍の冒頭にこんなインパクトのあるコトバがあって、さて梅棹忠夫という人はどんな人なのか、興味を持ったのがきっかけだ。


知の編集工学 (朝日文庫)

知の編集工学 (朝日文庫)


早速書店へ向かい、手にしたのは不朽の名著『知的生産の技術』。

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

そこに描かれていたのは、情報という観点から、文章をどう構築するのかが、わかりやすく技術論で語られていた。僕自身は鶴見良行さんのアウトプット・システムをかねがね仕事の領域で構築したいと考えていたから、まさに「原書」を発見した、という喜びが大きかった。


鶴見良行さんの方法論は『IDEA HACKS!』をはじめ、『READING HACKS!』等で詳しく書かせていただいているが、大まかに言うと「フィールド・ノート」、「写真」、「読書カード」の3つの情報データベースから構成されており、テーマによって情報を並べ替えることで書籍の8割が完成してしまうという優れものであった。僕は宇治の鶴見先生のご自宅でその「方法」に圧倒され、なるほど、優れた文章を生み出すには技術や方法論をセットに学ばなければならないのだ、とはじめて認識し、落胆したのを覚えている。

東南アジアを知る―私の方法 (岩波新書)

東南アジアを知る―私の方法 (岩波新書)

READING HACKS!読書ハック!―超アウトプット生産のための「読む」技術と習慣

READING HACKS!読書ハック!―超アウトプット生産のための「読む」技術と習慣

この認識を梅棹先生は『知的生産の技術』のあとがきで次のように語っている。


「文章の教育は、情報工学の観点からおこなうべきだろうといったが、ここにあげたさまざまな知的生産技術の教育は、おこなわれるとしたら、どういう科目でおこなわれるのであろうか。国語科の範囲ではあるまい。社会科でもなく、もちろん家庭科でもない。わたしはやがては<情報化>というような科目をつくって、総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではないかとかんがえている」(P218)


さらに「情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を、小学校・中学校のころから、みっちりとしこんでおくべきである。ノートやカードのつけかた、整理法の理論と実際、事務の処理法など、基本的なことは、小さい時からおしえたほうがいいのではないか。」(P217)


この指摘は実は1969年。実に41年前におこなっていたのだが、日本の学校教育が知識と方法をセットで教えるようになったかというと相変わらず「科挙」のようなことを続けているのである。これは由々しき自体であり、それに気づいた人たちから「学び=知識と方法のワンパック」で乗り越えていかなければならないと思う。


縁あって、梅棹先生を中心に民間の有志が集まって発展してきた「知的生産の技術研究会」の方々にお声をかけていただき、去年『知の現場』(東洋経済新報社)に出させていただいた。これは大変光栄なことであり、自分がやってきたことが少しだけ梅棹先生に認めてもらえたような気もした。


知の現場

知の現場


実は今になって、僕が注目しているのは梅棹先生の「情報産業論」が実はアルビン・トフラーの「富の未来」にシンクロするのではないかという点だ。梅棹未来論とトフラーの未来像がどう絡み合うのか比較検討する中で、僕らの生き方のヒントがうっすら見えてくるのではないかとひそかに考えている。

情報の文明学 (中公文庫)

情報の文明学 (中公文庫)

富の未来 上巻

富の未来 上巻

僕が考えている梅棹忠夫という人は、「フィールドワークのエンジニア」と「情報から未来を読み解くフューチャリスト」の2つの顔を持つ学者であり、それはおそらく僕が考えていることと恐ろしくパラレルで、恐れ多くもそのテーマを少しでも現代版に役立てられるように再編集したいと思うのである。

合掌。