野生の思考作者: クロード・レヴィ=ストロース,大橋保夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1976/03/31メディア: 単行本購入: 8人 クリック: 88回この商品を含むブログ (151件) を見る


○呪術は科学の体系ではなく、独立したもの。形は類似している。科学の隠喩的表現というべきもの!


■呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないか?(P15-16)

■人間は、感覚に直接与えられるもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまず取り組んだのである。(P16)

■化学はこの感性の証言が正しいことを証明する。植物学上は無縁のこの二つの科は、他の面で共通性をもっている。(P17)

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○よのなか何を信じるのか、それの基準は確率論だけではないか!


■呪術もときには成功するので、その意味で科学を先取りしてはいるけれども、成績という点では科学が呪術よりよい成績をあげることは事実であるから(P18)

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○具体の科学は、根強くて、つねにめざめた好奇心に基づく、観察と実験である。


■多くの場合ながい時間を要するこれらの複雑な技術を作りあげたりするために必要なのは、疑いの余地なく、ほんとうに科学的な精神態度であり、根強くてつねに目覚めた好奇心であり、知る喜びのために知ろうとする知識欲である。なぜなら、観察と実験(それら自体がまず第一に知識欲にはじまるとかんがえられるべきである)のなかで、実用に役立ちすぐに使える結果を生じうるものは、ごく一部にすぎなかったのであるから。(P20)

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○奥底に潜む「本質」を察知するのは、美的センスに関わる問題。


■美的感情にとって同等とみなしうるものは同一の客観的現実に対応するとしておくことは、思考においても行動においても有利である。自然はそのようにできているのである。ここはその理由をもとめる場合ではないが、おそらくは、形なり色なり匂いなり、なにか目立った性質をもった種類は観察者に「追求権」とでも呼ぶべきもの、すなわち、外からわかるこれらの特徴は、同じ特殊なものでありながらおもてに出ない特性の印であると考える権利を与えるのある。(P21)

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○発見について。


■ある種のタイプの発見とは、感性的表現による感覚界の思弁的な組織化と活用とをもとにしてなしえた自然についての発見である。このような具体の科学の成果は、本質的に、精密科学自然科学のもたらすべき成果とはことなるものに限られざるを得なかった。(P21)


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○原始的科学=具体の科学の方法について。


■プレコルールbricoleur(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人(P22)

■神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。何をする場合であっても、神話的思考はこの材料を使わなければならない。手もとには他に何もないのだから。したがって、神話的思考とは、いわば一種の知的な器用仕事である。(P22)

■いままで集めてもっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるのかをすべて調べ上げ、もしくは調べなおさなければならない。そのつぎには、とりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な回答な解答をすべて並べ出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選ぶのである。(P24)

■作り上げると言っても、結局のところ、でき上がりと材料の集合とは部分の内的配列が異なるだけである(P24)

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○科学=開く=発見=向こう <新たな発見>
○器用=組み替える=効率=手前 <本質的理解>


■したがって、つぎのように言うことができるだろう。科学者と器用人はどちらも情報をねらっている。しかし、器用人の場合、その情報はいわば前もって伝えられているものであって、彼はそれをよせ集めているのである。それは商用電略コードにたとえられよう。それにはこの職業の過去の経験が圧縮してあり、これを用いれば、あらゆる新しい状況(ただしそれが過去にあったものと同類の状況であるという条件において)に対して経済的に対応できる。それにひきかえ、エンジニアであれ物理学者であれ科学者は、リハーサルのしていない問に対してなかなか口を開かぬ話し相手からつねに今までになかったもう一つの情報を引き出してやろうとする。かくして概念は仕事に使われる資材の集合を開く操作媒体となるが、記号作用はその集合を組みかえる操作媒体であって、集合を大きくもしなければ更新もせず、ただそれの変換群を獲得するだけにとどまるのである。(P26)

■器用人はつねに自分自身のなにがしかを作品の中にのこすのである。(P27)

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○科学とは何か。科学を乗り越えるには何が必要なのか。


■科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。(P28)

■神話的思考は器用人であって、出来事、いやむしろ出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げるが、科学は創始されたという事実だけで動き出し、自ら絶え間なく製造している構造、すなわち仮説と理論を使って、出来事という形で自らの手段や成果を作り出してゆく。(P28)

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○「相同体」という概念。違う対象のなかに同じ構造があること。


○美的感動の原因


■美的感動は、人間がしたがってまた潜勢的には鑑賞者が、作り出すものの中におさめられている構造の次元と出来事の次元とのこの結合から生じる。(P32)


○構造=必然=内在性/出来事=偶然=外在性