Lifehacking.jp ©での書評

Lifehacking.jpというブログで、管理者の堀さんが
『READING HACKS!』の紹介をしていただいていたので、
ご紹介とリンクを貼らせていただきます。

Reading Hacks! 原尻淳一 (東洋経済新報社
Tuesday, 6 January 2009 · 0 Comments · Books

昨年出版されて以来ずっと読みたいと思っていたのですが、この年末に読書 ToDo が追いついて読むことができたのがこの一冊、原尻さんの Reading Hacks! です。

「読書」のハック本というからには、速読の本なのか、それともメモ取りの本なのだろうかと思って読んでみると、細かいテクニックのなかに深い読書論が埋め込まれていて、嬉しい形で予想を裏切る好著でした。

著者は本離れが加速している背景として、本を読むためのきっかけが足りないことを指摘した上で、それでもきっかけを意識的に与えることで読書の習慣を作り出すことが可能であることを指摘しています。この「きっかけのマネジメント」という新しい概念が全編を貫いていて、この視点を手に入れることができただけでも、読んだ価値がありました。

READING HACKS!読書ハック!―超アウトプット生産のための「読む」技術と習慣

READING HACKS!読書ハック!―超アウトプット生産のための「読む」技術と習慣

堀さん、どうもありがとうございます!


お時間がある時に対談でもしたいですねっ。


堀さんが、「まるで本との恋物語の筋書きを読んでいるようです」と
評してくれた『READING HACKS!』の一部抜粋。

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第4章: 読書脳構築ハック!(読書脳をつくる)

【1】 まったく本を読まない高校生が年間300冊本を読むきっかけ

 まったく自慢することではないのですが、わたしは大学入学までほとんど本を読みませんでした。先日高校の同級生とたまたま飲んだときも「お前が本を読んでいた記憶はまったくない」といわれる始末。ですから、本当に本を読まない若者の典型だったといえます(笑)。読書論や勉強法の本を読むと、著者の方々の多くが、小学生のときからものすごい読書量をこなしているんですね。びっくりしました。そういう意味では、わたしは完全に「読書の劣等生」でした。

しかし、今では年間300冊くらいは平気で読んでいます。雑誌を含めれば、もっと読んでいると思います。この劣等生が、いつ、何をきっかけに、どのように本を読む習慣を身につけていったのか。同級生と飲んだ帰りのタクシーのなか、少々まどろみながら、わたしは昔の記憶を辿り、ひとつのきっかけを思い出しました。B4の「読書リスト」です。それは予備校の世界史の先生が作成したもので、大学入学後に是非読んでほしいと最後に配布されたものでした。

正確には、この先生の授業を受けていた高校時代の友人Sがわたしにリストのコピーをくれたんです。このSは本当に読書家で、現代国語が異常にできた。身体が大きいのに、いつも片手に文庫本を持っていて、なんだか熊が読書をしているような奴でした(笑)。月日が経って、それぞれ大学が決まった時、詳しい事情は忘れてしまったのですが、Sから電話がかかってきて「オレはすごい本のリストをもらったから、大学に入ったら暇だからお前もこれくらい読め!」と言うんです。それでリストを見たら「世界史の読むべき本」がズラリと書いてあった。で、これが運命の決定打だったのですが「歴史学の入門書」があったんです。そこにリストアップされていたのは、E・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新書)と阿部謹也の『自分のなかに歴史を読む』(ちくま文庫)でした。まあ、時間もあるし、だまされたと思って読んでみたんですが、もう完全にやられました。本当に感動してしまった。そこには、わたしが経験し得なかった崇高な世界があると感じたんです。特に阿部さんの著書は中高生向けに書かれた歴史学の入門書なのですが、同時に1人の歴史家の個人史としても描かれている名作で、わたしははじめて読書で「眼からうろこが落ちる」経験をしました。今読んでもこの2冊は感動する名著です。ホンモノに触れて、知的喜びを知る、と言いましょうか。わたしは、これに勝る読書の原動力はないと思います。

こうして、わたしの本格的な読書はスタートしたのです。かなり遅いスタートでした。

 とにかく、わたしはE・H・カー阿部謹也にゾッコン惚れてしまいました。大学入学時は比較的時間がありますから、徹底的にこの2人の著作を読んでみようと思ったのです。

 まず大学図書館に行って、二人の著作の全リストを出力してもらいました。それを手がかりにして、図書館にある論文やエッセイをすべて見つけていきました。ちょっとした探検気分です。劣等生ですから、劣等生らしく、読みやすいものだけをコピーして読むようにしました。この過程でわかったのは、当時のわたしにはE・H・カーを読みきる実力がなかったことです。それで思い切ってターゲットを阿部さん1人に絞りました。

 さて、そのリストのなかに面白いものがありました。確かNHK市民大学のテキスト『甦る中世ヨーロッパ』のテキストと映像のセットです。これはしめた!と思いました。劣等生は読むことより聴くほうが楽ですからね。それでいきなり阿部先生の講義をビデオですべて聴く幸運に恵まれました。既に『自分のなかに歴史をよむ』でバックグラウンドは知っていますから、今度は阿部史学の思想そのものをつかまなければなりません。これは難しいと思っていた矢先、映像で本人の声を聴いて、短時間でサクっとポイントを理解することができたのです。これをきっかけにして、わたしは気になる著者の講演会があるときは必ず行くようにしました。ライブから入って著作につなげれば、読むことがすごく楽になることをわかってしまったからです。

 もちろん阿部先生の話を聴きにも行きました。ちょうどわたしが学生だった頃、京都では平安建都千二百年記念行事で「世界賢人会議」が行われ、そのときイリヤ・プリコジン博士が参加するシンポジウムの司会を阿部先生が担当されていたのです。学生時代の友達と2人で席取りに並んだことを覚えています。ここまで来ると、アイドルの追っかけに近いですが、少なくともほとんどすべての著作を読み、本人の肉声を聴いていくと、ぼんやりですが劣等生でも何が言いたいのか、わかってくるものです。

「ははぁ、ある学問分野を理解するには、その道の大家を決めて、読みやすいエッセイのようなものから徐々に読んでいくと、ひとつの思想、ひとつの体系がだんだん見えてくるんだな。わかったぞ。」

このとき、ようやく読書のコツのようなものが解り出したのです。

作家の遠藤周作さんは「1人の作家なら作家の作品を全集でまず読む。日記、書簡まで全て読む」ことが大切だと言っています。わたしは阿部先生の著作をすべて読破して、ようやくこの意味がわかりました。

とある日、突然Sから「京都に行くからお前の家に泊まらせてほしい」と電話がありました。数日後、でっかいバックパックを背負って、Sが現れました。わたしは挨拶がてら「おい、あの読書リストで阿部謹也を制覇したぞ」と自慢しました。すると、Sは「お前、まだアベキンなのかよ、俺はこのまえ網野善彦の『無縁・苦界・楽』(平凡社)を読んで、今はこれ」といって、大隅和雄愚管抄を読む 中世日本の歴史観』(講談社学術文庫) を取り出してきました。嗚呼。わたしはあまりの差にズッコケました。

S曰く、「1人の著者が書いているすべての本を読むのは大切だけど、その著者だけに言えることと、普遍的に本質を突いていることってあるでしょう。それを見つけるには、たくさんの著者の本を読まないとわからないものだよ。だったら、次は網野善彦を読んでみるといいよ」とのこと。なるほど…この熊さんナビゲーターはスゲーなぁと感心しつつ、より本質的なものへ眼を向けることの大切さをSから教えてもらったのです。

その夜も酒を飲みながら、S独自の読書論を聴きました。要約するとこういうことです。「1人の著者からキーワードを体得する。それを何人もこなし、多くのキーワードを把握していく。すると1人の人間だけでなく、多くの人に共通の普遍的なメッセージが見えてくる。それを見つけることが知の喜びである」と。

いま思い返してみると、わたしはこの友人のSから本の読み方や知の喜びを知るきっかけをもらっていました。数日後、Sは東京に帰っていきました。それ以来、会っていません。我が友であり、読書の師匠は今何を読んでいるのでしょうか。