お前、会話がドッジボールになってないか?

会話はキャッチボールが大切だよね〜と言われている昨今、
僕の後輩たちの会話は、ドッジボールになっているという話を
して盛り上がった(笑)。


キャッチボールというのは、会話における文脈が大切なの
だが、最近の若い奴ら(特に20代後半)と話をしていると、
自己主張が強く、会話を無視し自分の言いたいことを言って
満足している奴が多いなぁ〜と実感する。


お前〜、また会話がドッジボールになっているぞ!
コノヤロウー!


相手を狙ってバンバンぶつけるドッジボールを後輩にされる
と、こっちはもっとすごい玉をドッジボールしたくなる。
それはラリーになれば面白いんだけど、そうはなかなか
ならないからねぇ。困った、困った。


電車のなかで、茂木健一郎×池上高志の対談を聴く。
ワタリウム美術館で行われた南方熊楠の話である。


ここでは変人の話があって、池上さんが狂っている人には
正しく狂っている人と違った方向に狂っている人がいて、
変人でもコモンセンスを持った変人でなければ…という話をする。
茂木さんもケンブリッジにおける変人の敷居の高さを話していて
大変面白い。


茂木さんは変な人を観察することに興味があるらしく、
そういう変な人も生きているということはエコロジカルなニッチ
があると発言されていた。確かに自分の周りにいる変な奴を
思い出すとそうなんだなぁ…。


i-podで聴く変人の話と会話のドッジボールがシンクロする。


さあ、どうすべきなんでしょうねぇ…。処方箋をどうするか。