破壊と創造の表現
新木場のスタジオコーストで行われるダンスイベントを
見学に行く。
とにかく遠いので、原稿を書くにはもってこいである。
一時間近く集中できるという意味では、遠さも苦には
ならない。
ダンスの本質はおそらく破壊と創造にある。
ダンスは起承転結を物語のようにずーっと流して表現
するのは難しい。というのも、音楽に合わせて身体を
常に震わせているからであり、場面転換が起きる場合、
多くは爆発音のような「ダン!」という音で終わる。
その音と照明演出で場面転換を行うわけだが、ここで
一度瞬間的に表現の流れを壊す。そして、ゼロから
再び違う音楽と身体表現を通じて、物語を組み立てていく。
音楽に注目しながら、ダンスパフォーマンスを見ると、
この破壊と創造の繰り返しなんだということがよくわかった。
かといって、一流の表現者になれば、こういう境を無に
するくらいの圧倒的な表現力で、わたしの観察を超えて
しまうのだろう。
帰りの電車も、座席についてから即パソコンに向かう。
目次立てにしたがって、原稿を書き進めるが、途中で
なかなか表現が出てこない個所がちらほら。こういう
場合、自分のなかでアイデアや伝えたいメッセージが
熟成しきれていないことが多いので、飛ばし飛ばしで
書いていく。
うーん、何となく伝えたいことと身体から出てくるものは
ずいぶん違うもんだと書きながら反省。リサ・ランドール
が「何となく思いつくことと、突き詰めて考えることは違う」
と言っていたことを思い出した。
わたしの中のアイデアは、まだ身体のなかで寝かして
おかなければならないのかも。
まだ、そっとしておこう。