■
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)
- 作者: なだいなだ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1974/03/28
- メディア: 新書
- 購入: 10人 クリック: 95回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
■政府の権威は薄まりつつある。広告が利かない。テレビの権威も薄まってきた。
国家権力としての検察の力。ここまで出来るのか、と思っている人が大半だろう。
■なだいなだが描いた精神科医と高校生と対話『権威と権力』は
1974年初版の書籍だが、いまも輝いている。いまこそ、権威と権力の秘密を
僕らが熟知して、どう構えるべきかを考えるべきだ。
■民際学を考える上でも、たいへん刺激的、かつ参考になる。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
○「権力は組織に属する人間に、組織のしくみに沿って働く。
しかし、権威は、その外側にも働く」(P36)
○「個人的な権威の場合には、権威を持った者と、それを感じるものが
直接に触れあっていた。地位の権威の場合には、二つのあいだに権力が
割りこんで来て、権威を遠ざける。権力は常に背中に背負った形をとる」(P46)
■国家という権力機構が、人と人との関係で形成されていた権威を遠ざけ、
自発的に、内在的に発生する権威の畏怖をかすめさせた。
○「権威とは、命令とか服従とか、信じるとか信じないとかの、
そういう人間関係を支えているなにかなのだね」(P53)
○「《いうことをきく》のは、《いうことをきかされる》のではないんです。
《いうことをきかせる》というのは、《いうことをきかない》連中に、
《いうことをきかせる》のです」(P58)
○「《いうことをきく》のは権威によるので、《いうことをきかせる》のは、
権力だということになるかな」(P58)
○「権威も権力も、いうことをきき、きかせる原理に関係している。権威は、
ぼくたちに、自発的にいうことをきかせる。しかし、権力は、無理に
いうことをきかせる。そして、今のぼくたちの社会は、少し、それが
くずれかけてはいるけれど、この権力と権威が二重うつしの一つのイメージを
作っていて、それがぼくたちにいうことをきかせ、まとまりを作らせている」(P62)
○「権威とは・・・権威を感じるものの内部にあるものが投射されたものだ」(P68)
【反抗期の構造:子供と大人の関係】
○「子供と大人の人間関係が出発点です。力のないものと、あるもの、
知識のないものと、あるもの、依存するものと、されるもの、
そうした関係がはじまりです」(P69)
○「依存的な人間関係が出発点にあって、その影が次第に薄れて行くことで、
次第に対等な人間関係に近づく」(P69)
■子育ても、OJTもこれが基本だ。近づくにつれて、大人の扱いをしないと、
反抗期になる。この時期のコミュニケーションって大事だね。
○「権威を持っていたものが、それを失ったのではなく、権威を感じていたものの
成長がそれを感じさせなくなったということ」(P73)
■これは納得!!自分の経験からしても、そうだった。
○「今の社会の権威もそれを持っていたものが失ったのでなく、
人民が支配者と本質的に変わらないという自覚を持つように
なった必然的な結果」(P73)
○「権威には内部的な不安が、権力には外側からの恐怖が対応する」(P80)
○「自分と同じような人間に判断されたくないのだね。自分たちを越えた
ところにある権威の判断でなければならないわけだ。だから権威というものは、
常に最高のものを指向する」(P106)
○「いちばんいい選択の手段は、人の意見をきくよりは、自分で飲んでみて
自分の好みにあうかあわないか、自分でためすことだ。それで判断を
下したらいい。ところが、その自信がないから、他人の、しかも自分より
たしかだと思う人の判断を求めるのだね」(P116)
○「どんな判断も絶対的なものではないという条件で、判断すればいいのだよ。
だが、絶対的な判断を求めてしまうから、ぼくたちは権威主義的になる。
広告なんてものを、絶対的な判断の根拠にしないで、単なる目安と考えて
おけばいいのさ」(P118)
○「自分と同等の人間の判断だと思ったら、信じられない。自分より上の、
自分の能力を越えた人間の判断だというように信じたい。そこで、そう
思わせるものが持ち込まれる」(P121)
○権威に頼る人たちのことに触れた上で・・・
「自分の目でたしかめるということを忘れ、直接に現実にふれようと
しなくなることの結果のもつ、こわさですね。
そうだよ。ベルクソン6の影響を強くうけたミンコウスキーは、人間が
妄想を持つようになるのは、人間が《生きた現実との接触を失う》からだ
ということを発見した。ぼくたちが、現実に触れずに権威によってものを
判断しようとする時、妄想的になっていくことはたしかだね」(P127)
○権威の発生:
「無知であると、強制的に認識することで、知っているものの権威を
認めさせようとするのです」(P140)
→「この論理はね、また、自分の権威を認めさせようと思う権威主義者たちが
いつも用いる手段でもあるんだ」(P140)
○「もう1つの点を見つけて、三角形を作ることだね。三角形を作れば距離が
はかれる。これならば、自分が無知のままでも、一つの権威だけに
従うことはない」(P146)
○「脅迫は物理的な力で、つまり暴力で相手を従わせるのだし、
命令は権力という機構の力で従わせることです」(P152)
○「自我の確立というのは、他者と対等の自分を意識することです」(P168)
■こどもの自我は、親と対等である自分を意識することなのか?
○「今の専制に対する民衆の怒りが、いつの間にか、未来の理想社会の中に
救いを求めさせた。つまり、すりかえられたといってもいい。むしろ、
革命を考える時、革命理想よりも、民衆の専制に対する抵抗の方に、
目を向けるべきではないのか」(P194)
○「民衆をかりたてたのは、革命の情熱じゃなくて、現実に対する抵抗なのだ。
ただ、その抵抗の無目的な性格が、とかく、ぼくたちをばらばらにさせる」(P210)
■現代日本の政権交代の構造もこの視点で説明できる。民主党のマニフェストではなく、
反自民党政治だったということ。
○「権力を否定するのなら、非権力主義者あるいは反権力主義者にならねばならない。
権力を奪おうとするのは、すでに権力支配を認めることになる。権力を奪取しよう
とする人間も、さけがたく権力主義者にならざるをえないのだ。そこに革命が
永久に繰り返されねばならない出発点があるんじゃないか」(P195)
○「非暴力の抵抗は、ただ自分が、どれだけ、権威にも権力にも屈しないかを、
たしかめようとするだけのことです。権威なき世界、権力による支配なき世界を
理想としていますが、そうした世界を自分たちが作ろうとするのではありません。
その理想は、自分のものじゃない。はるかなところにあるのです」(P221)
○「権威という、人間が他の人間に、自発的にいうことをきかせるものが力を失い
権力がその埋め合わせをして、力で人間をまとめようとしている時代だからね」(P224)
○「防衛の意識によって、権力支配は、いつも正当化される」(P225)
○「とかく、もとの岸へもどりたくなるのさ。人間が持つユートピアというものは、
はるかなところにあるから、そこにたどりつこうとするよりも、もと来た方向に
ひきかえすことの方が、現実的に見える」(P238)