Exactness is a fake.

大学での研究会で京都へ。今月二回目。


前々日から睡眠不足で身体はボロボロ。なので、Greeeeeenで京都に上洛。
最近気づいたがいくつかパターンができていて、
東京駅の新幹線ホームで必ず「すえひろ・天むす」とお茶を買う。
新横浜までに食べ終わり、名古屋まで集中して仕事。
名古屋から京都までは自分のテンションを高めるために音楽を聴きながら、
授業や研究会を妄想する。今日はずっとMJの『THIS IS IT』を聴いていた。
やっぱし、Man in the Mirrorはジーンと来るなぁ。


研究会はやっぱり楽しかった。中村尚司先生の話は興味深いなぁ。


哲学者のホワイトヘッドの最終講義を聴いた鶴見俊輔さんの話。
ホワイトヘッドは最終講義の最後、こういったという。


“Exactness is a fake.(正確さは欺瞞だ)”


ちなみにそのときの講義の題名は「Immortality」(不滅性)。

鶴見 彼はまず不滅性を定義するんだ。この場かぎりで消えてしまうものがmortalつまり死すべきものだよね。そして現在を突きぬけていくものがある。それがimmortalityなんだ。mortalなものを突きぬけていくものなんだ。それは価値を確信して、価値としてこの世界を見るということ。価値だから、この場かぎりで終わらない。また終わらせてはいけないと思う。だから現在を突きぬけていく。それがimmortalなんだ。それは、ぼんやりしているけど、確かなものなんだよ。

source:鶴見俊輔上野千鶴子小熊英二『戦争が遺したもの』(新曜社

戦争が遺したもの

戦争が遺したもの


国民国家を前提とした学問。仮説に基づき、物理学や数式で証明する経済学。市場の失敗。
一見確かに見えるものの危うさ。ホワイトヘッドの言葉は今でも重みがある。


そういえば、2009年のノーベル経済学賞を受賞したのは
米国のエリノア・オストロムとオリバー・ウィリアムソン。

オストロム教授は、共有財産をめぐる争いで最良の解決をもたらすものは市場の力ではなく人間であると結論付ける研究を行った。  
 
 フランスのエコノミストマルタン・アントナ(Martine Antona)氏によると、誰にも属していない共有財産を集団で管理すべきと唱えた学者は、オストロム教授が初めて。そして、「炭素も生物多様性も人類の共有財産」だと世界中の人々が唱えるようになった昨今では、こうした考えはますます重みを持ってきているという。

 オストロム教授の理論は、例えばこういうことだ。世界中で乱獲されているマグロのような共有資源は、各当事者が自己の利益しか考えない場合、過度に使用してしまうことになる。その解決策は、当事者間で競争するのではなく、協力することだ。

 先のザウナー教授は次のように指摘する。「市場によらない非公式な協力関係がすべての人々にとってより良い解決策になる場合もあることを、オストロム教授は示してくれている」

 別の専門家は、この「非公式な協力関係」は、市場の失敗を、エコノミストたちの予想以上に、そして政府の介入を必要としないほどに、修正できる可能性を秘めていると語る。

 貧困地域をも調査対象にした同氏の研究は、ウィリアムソン教授の研究同様に、持続的な協力関係が長期的な利益をもたらすことを実証するものだ。

source:http://www.afpbb.com/article/economy/2651921/4750498

Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action (Political Economy of Institutions and Decisions)

Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action (Political Economy of Institutions and Decisions)


<市場によらない非公式な協力関係がすべての人々にとってより良い解決策になる場合もある>
これは民際学を考える上で非常に参考になるな。


市場の失敗がもたらすオストロム教授の研究とホワイトヘッドの言葉がシンクロする
大変興味深い内容だった。


さて、わたしが担当する教科書問題も具体へ一歩踏み出した。


プロデュースをどうしようか、イメージを膨らませようっと。