息苦しい世の中になった原因

今日は夕方からお客さまとお話をしている中で、
大変有意義なお話になった。

テーマは教育論で、そこではわたしの知らない
モンスターペアレント (Monster parent)という言葉が出てきた。

モンスターペアレント (Monster parent) とは、
ウィキによると、「学校に対して自己中心的で理不尽な要求を繰り返す
保護者を意味する和製英語である。向山洋一命名とされる
(「教室ツーウェイ」2007年8月号9ページ参照)。当然に、常識の範囲を
逸脱しない要求を行う保護者はここには含まれない。

基本的には直接教員にクレームを行うものが多いが、校長や教育委員会など、
より権限の強い部署にクレームを持ち込んで、間接的に現場の教員や学校に
圧力をかけるという形式も増えている。また、なかには虚偽の告発をする
などして法的問題に発展させようとする場合もある。戦後民主主義教育の
結果の一つという指摘もある。」とある。

なんだかリアル2ちゃんねるな人たちだが、なんでこんなに
日本は息苦しいのだろうという話になったのだ。

そこで僕は阿部謹也の世間論を軸に概ねこんな仮説を話した。

日本における個人はアメリカやヨーロッパにおける個人とは異なる。

アメリカやヨーロッパは個人が社会をつくるという前提に立っているが、
日本にはアメリカやヨーロッパのような社会なんて存在しない。
あるのは世間だけである。

日本の個人は世間に規定される個人である。

アメリカ型の社会へ向けた改革が行われた結果、日本人でも強い個人は
外資系企業に行き、会社を立ち上げた。一方で西洋的な強い個人に
なりきれない個人は、ネガティブパワーの働く世間にすがるしかない。
ここでのストレスは以前にも増して強くなる。であるが故に、そのストレス
を抱え込んだ個人の発散の場が、いたるところで展開されるようになる。

それが2ちゃんねるであり、モンスター・ペアレンツであり、
突き抜けると秋葉原事件に行ってしまうのではなかろうか・・・。

とにもかくにも、日本人が強い個人にあこがれつつ、ひそかに憎みつつある
アンビバレンスな心理状況に置かれているのは確かであり、それをどう
考え、対処していくべきかについては、いろいろな場所で議論すべきこと
だと思う。