筆文化について

最近、絵を描き始めた。


といっても、小さいスケッチブックに落書きをするだけだが、
この数分はとても気分がいいのだ。


僕自身細い線が好き。昔は鉛筆で描いていたけれど、
最近はもっぱら水性ボールペンで、細さは0.38以下にしている。


で、描きながら思う。何だか、線のかすれ具合とか、細さと太さ
の具合とか、にじみ具合とか、やたらとそんなことを気にしている。


この理由は何なのだろうと考えていて、本屋でも考え、電車に乗って
いたとき思った。もしかしたら、習字の筆遣いを無意識に意識して
いるんだなと思った。


小さい頃から、習字を習っていて、筆を持つとそのクセが抜けない。
その意味では、雪舟のように筆で書いてみるのもいいかもしれない。
なんて思いながら、本屋に立ち寄り、ピカソのデッサン画を眺める。


むむむ。シンプルなラインの正体は、実は中国や日本のような筆文化
圏外で育ったことに起因しているのかもしれないな。そう思う。


とはいえ、見れば見るほど、この天才の筆遣いというものは無駄がない。
とくにピカソの絵は、時たまラスコーやアルタミラの洞窟壁画のような
感覚を覚える点で、この人は人類太古の感覚を持って生まれた天性の
逸材なのかもしれない。


進化心理学者のニコラス・ハンフリーは、人類は言葉を持ったがゆえに
洞窟時代の素晴らしい絵画の創作能力を失ったのではないかという大胆な
仮説を持つ。もっというと、洞窟時代の人類は言葉を持っていなかった
ともいえるもので、それを論文「喪失と獲得」で展開している。


ピカソはもしかしたら、言語と引き換えに亡くした、あの雄大な創作
能力も持ちえて生まれてきたのではないかと思う。あの顔と眼。
努力の天才というよりも、生まれながらに備わっていたと思わざるを
得ない顔つきだ。