他者の死と自己の死

最近身近な方々の親族が次々とお亡くなりになっている。

WEBのNEWSをチェックしていたら元NEC会長の関本氏も
お亡くなりになっていた。昔は赤坂の一ツ木通りでよく
お見かけしたのだが。

しかし、死というものを僕自身はあまり否定的に捉えて
いない。死は自分の中に常に生じているものではないか
と思うからだ。

例えば、進化する自分を考えてみると、明らかに過去の
自分は死んでいるのであって、そういう意味では死と生
は常に循環しながら、螺旋構造のように成長しているの
かも知れない。

ニコラス・ハンフリーの喪失と獲得は、進化をみる時に
生れた仮説だが、実は僕らの身近なところに死と生も
繰り返されているのであって、嫌な自分、駄目な自分を
いわば殺してしまって、そこに新しい生をあてがう時
僕らの成長が表層化するのだろう。