MJの花伝書:THIS IS IT

「やはり、MJのショーとしては、ライブ・イン・ブカレストで、
あれと同じようなエンタテインメントを“THIS IS IT”が持てるか
というと、そうではないと思うんだよなぁ…」

ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]

ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]


こんな発言が飲みの席でのあったのだが、僕はこうさえぎってしまった。


「いや、あれはショーという体裁をとっているけれど、あれを
ライブ・イン・ブカレストと同類と考えては駄目で、MJの花伝書
として捉えるべきものなんじゃないですか?」


花伝書とは、いわずもがな、世阿弥が残したとされる能の理論書だ。
正式には『風姿花伝』という。

風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)

内容は、能の修行法、心得、演技論、演出論、歴史、能の美学など
様々な解釈ができるものだが、とりわけ僕自身は上達論として読んで
いて、THIS IS ITはMJがエンタテインメントの真髄をスタッフと
共有しながら、まるでOJT(On the Job Traning)のように、教えていく
プロセスを描いた花伝書のようなものだと感じていたのだった。
だから、完成されたショーと比較せず、構築プロセスとして観る貴重な
フィルムとして語られるべきもので、僕にとっては作品ではなく、教材
なのかもしれない。そこでTHIS IS ITの何処がMJの花伝書たるのか、
その理由を簡単に述べておきたい。



序破急


花伝書に出てくる有名な言葉の1つに「序破急」がある。


序破急は舞台の“三幕構成”などの類似語として使われることがある
ことがあるけれども、上達の段階論からすれば、序は師を真似る苦しい
段階。破は師を理解する段階。急は自分自身にアレンジする段階。と
仮においておこう(川上不白の“守破離”の概念に対応)。


実はMJは最後にこういう。


「皆さん、よく忍耐してくれた。また私のことを理解してくれた。
 さあ、これから新しい冒険に旅立とう!」


ここでMJが言った(1)patience(忍耐)、(2)understanding(理解)、
(3)adventure(冒険)というキーワードに注目したい。

僕の脳内では、

                                                            • -

序=patience(忍耐)
破=understanding(理解)
急=adventure(冒険)

                                                            • -

と対応してつながり、ひとつのエンタテインメントを完成させる
プロジェクトの段階にも、序破急があり、ミクロにもマクロにも展開しうる
概念だということを改めてMJに教えてもらった気がしたのだった。

だから、もし序破急を英訳することがあれば、迷わず
patience、understanding、adventureと言おう。



【離見の見】


「MJはまるで舞台監督のような発言をしているでしょう。あれは自分でショー
をしつつ、全体を見渡す視点があるってなかなかできることじゃない」


この発言もまさに芸事の奥義:離見の見につながるもの。
MJが舞台監督と話す会話は、自分の位置と意味を全体で俯瞰し、確かめている
感触があったのは、まさにMJの天才性を物語る。



秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず】


「僕らは見る前にMJを舐めてかかってたんですよ。だからこそ、
圧倒されてしまった。あの10年はなんだったのでしょうか?不思議ですよね」


MJほど、秘め事の多いアーティストはいなかっただろう。


秘めるからこそ花になる。秘めねば花の価値は失せてしまう、いう世阿弥の言葉は
今となってはMJの存在を語っているように思える。


MJの存在と発言を言葉ではなく、映像を通じて語りかけてくるTHIS IS ITは、
現在エンタテインメントにおける花伝書なのだ、という僕の発言には、
こんな理由が含まれてのことである。