視聴覚分断問題についてメモ

安倍先生と久しぶりに話しする機会があり、
先生から大きな課題がブンと投げられる。


「原尻さん、視聴覚分断という問題をねぇ、慶応大学の講義で
 菊地成孔大谷能生両氏が行っている文春の本なんだけれども
 20世紀の「サイレント映画」「レコード音楽」が、リスナーを
 幼稚化させていくのではないかと言っているんだな!
 それまでのオペラ、演劇、舞踏会といった芸術、これはね、
 英語で言うと「Legit」と表現されるわけ。正統って意味だ。
 この正統芸術を「視覚」と「聴覚」に分断したのが、「レコード」
 と「サイレント映画」だと指摘している。さらにその後、
 ハリウッドがその分断されていた音楽と映像をシンクロさせる
 訳だけれども、ライブですらドームで行われ、それを真っ先に
 取り組んだのはマイケル・ジャクソンなんだが、このね、
 視聴覚分断という問題を、コンテンツを作るうえでどう考えるのか・・・」



こういう学際的な問題を、会話の中でひょいっと投げてくる安倍先生。

とにかく、すごいのだ。ぼくはそんな安倍先生が好きだ。

ここまで大きな問題は、一生かけて考えていく問題だろうな・・・。


進化心理学のニコラス・ハンフリーは何かを革新的な技術や能力を得ると
これまで持ちえた何かを失うという「喪失と獲得」の法則を提示しているけれども、
ぼくらは新しいメディアが出現した際、コンテンツあるいは表現として、
何を獲得し、何を失うのか、そこを追及するのが、クリエイターの課題である
ということしか、いま頭に浮かばない。。。


その意味で、いまの頭にあることをメモしておく。


ちなみに同じ問題を提示しているのは宮崎駿さん。


“子供と映像のつきあい方”で視聴覚に頼るアニメーションが
五感の悪い人間をつくっているという指摘をしている。


こういう自覚をしているクリエイターは稀だと思う。


ちなみに・・・アフロ・ディズニー著者のインタビュー:
http://www.cinra.net/interview/2009/09/25/000000.php

○面白い!